あれ、ピーってやつ!!だからピーってやつよ!!

だからピーってやつって何よ!!(笑)

おはこんばんちは、ゆたちんどっとこむです。

今年の3月にですね父親が80歳で死んだんですよ。

まあ正月までは元気だったんですけどいろいろあって救急車で病院に運ばれましてね。

1か月ぐらいあれこれして結局3月の何日かに死んだですよね。

命日なんて覚えてませんよ(笑)

でも2か月ぐらい入院してたんですけどほんといろいろ経験させてもらったような。

まずね、面会が大変なんですよ。

コロナのせいで1日1人で30分までって。

運ばれて最初は一般病棟だったのかな。

帰る帰るってベッドの上で暴れまくって大変だったそうな(笑)

昔から病院は好きなくせに入院は嫌いな人だったんだよな。

以前ガンで入院したときも骨折で入院したときも帰る帰るって病院に迷惑かけまくってたので(笑)

んで。

この段階ではまだ会話も出来ていたし、すぐに帰れるんじゃね?って思ってたんですよ。

そんななら面会行く前に退院かなとか。

でもですね。

入院して3日目だったかに病院に呼び出しをされまして。

意識が無くなったのでICUに入りました安静にするため薬で眠らせてますと、説明があるのですぐに来てくださいと。

いやもうね、昨日の段階では普通に会話もできる状況だと弟に聞いていたのでそのうち見舞に行けばいいだろうと思ってたんですよ本当に。

病院に向かう車の中で運転しながらもうボロボロ泣きましたよ、もう話もできないんじゃないか、昨日面会に行っておけばよかったって。

つい先日までは普通に元気だったんですよ、それが急に頭打って救急車で運ばれた、入院だ、ベッドで帰る帰る騒いでるって(笑)

なんだ元気じゃねーかって。

それが急に意識が無くなってICUって、ほんとしゃべれるうちに面会に行かなかった後悔の念がね。

そして病院について頭部のCT画像の説明を受けたんですよね。

画像は入院したときと今日のやつです。

脳内の出血が止まらず脳に圧力がかかってます、それで意識が無くなってます。

自力呼吸もできないので切開して酸素入れてますと。

とりあえず薬を入れて眠らせた状態で安定させてますと。

出血が止まれば処置の方向も決まるし。

たしかに説明を受けたとおり出血の範囲が頭蓋骨にそって広がってるんですよ。

素人目に見て大丈夫なのかなと。

とりあえず経過観察って話になったのですよ。

その後に初めてICUというところに行ったのですがほんとICUです(笑)

ここは個室なので面会は二人までOKですって。

でもICUじゃん(笑)

でもね、いろんな管につながれた父親がそこに横たわっているわけですよ。

生かされてるやつじゃねーか!!

もうそんな姿を見たら声もでないですよ。

こりゃもうダメだろうと。

その日はそれで帰宅したのですが結局その後頭蓋骨に穴を開けて血を抜くことになったんですよね。

時間をかけて抜いたみたいですが私は怖くて見れなかったのですが弟の話だと血がドロドロ出てたそうです。

私は血が苦手なもので・・・(笑)

これでうまくいってくれて脳への圧力が減ったらどうなるんだろうと?

翌日ぐらいかな、意識が戻ったって連絡がきました。

ICUで意識はあるんですが切開されているので話は無理なんですよ。

両手は無意識に管とかを抜いたらまずいので固定されており。

目は動いてるので話しかけると反応はするんですよね。

何か言いたいんだろけど伝えられないもどかしさってやつですかね。

そんな日が何日か続きまして、脳の圧も安定し、ついに自力呼吸に切り替えて一般病棟に戻ると連絡がきました。

一般病棟に移ったらすぐにリハビリもはじまるって言うし、元気になったらそれはそれでめんどくせーなと(笑)

でもね、本当もう2度と話もできないんじゃないかと思ってたので本当によかったと思ったことを覚えてます。

一般病棟だとまた面会は一人なので一般病棟に移って3日目に面会に行ってきました。

ベッドの上で暇だったんでしょうね。

カーテンをあけるなり嬉しそうな顔をしてさ。

入れ歯が入ってないからただのじじーなのよ(笑)

あの顔はもう忘れられないですよ。(笑)

最初の会話がタバコ無いかって言うから(笑)

タバコなんてあるわけないだろって(笑)

元気そうじゃねーかってね。

思ってた以上に元気そうでよかったとは思ったのですが、やはり脳へのダメージがあったみたいで。

記憶がトビトビなんですよね、何十年も前の人の話をしたり。

そこにはいるはずの無い人がさっきまで会いに来てくれたみたいな。

三途の川のお迎えか?(笑)

まだ回復してすぐなので意識的にはいろいろあるとは言われたのですがこの先この状態が続くと大変だぞと思いましたさ。(笑)

それでも面会の30分間で家族はみんな元気か?仕事は大丈夫か?とかその辺は覚えていてくれて、兄貴に会いたいな~とか。

これだけ元気ならすぐに家に帰れるでしょみたいは話をしましたさ。

時間になったし、まだ帰るなって言ってたけど時間超えると怒られるし、また来るよって言って病室を後にしました。

まさかこれが最後の会話になるなんてさ。

最初に急変したときに最後に会話できなかったことが悔いだったんですが、なんとか持ち直して30分だけだったけど会話ができてほんとよかったと。

なんかね、神様がくれた30分だったんじゃないかな。

その後ですが数日後に一般病棟で入院中の夜中に急変して心停止してしまったそうなんです。

早朝に病院に家族全員呼び出されて、夜中に心停止してしまったこと。

心停止の原因はわからない。

夜中であったため気づくのが遅れ措置が遅れてしまったこと。

蘇生処置でなんとか心臓は動いたが心停止の時間が長く脳へのダメージが大きかったこと。

低体温治療みたいなやつで経過観察をするとの説明でしたが、さすがに今回は覚悟しました。

説明だと長い時間蘇生処置をしてくださったみたいですが、病院には死なせちゃいけない感があったんじゃないですかね。

説明してくれた先生の表情が暗いこと暗いこと(笑)

でもこの蘇生処置のおかげでただ生かされてただけの父親でしたが看取ることができたのでそれはよかったかな。

結局低体温治療みたいなやつをやってもらったけど効果も無く、先生のお話ですとあとは自力でどこまで生きれるかって状態になったとのことでした。

この状態だとこの先は長くても2週間と。

家族としては延命は一切やらないでくださいと伝えました。

新しい病室に移ってからはもうあと死ぬのを待つばかり。

心停止の影響か体の末端は黒く壊死みたいになっちゃってるんですよ。

それでも暖かい体をさすってあげて拭いてあげて話かけてあげて。

それが最後の父親との生活でした。

会いたがってたお兄さんも最後に来てくれたよかったんじゃないかな。

で、結局そのあとどれぐらいたったんだろうな。

朝、会社にいるといよいよ危ないと病院から連絡が。

病室についてもいつもと変わらずの父親が寝てるのですが

心拍数とかのやつがどんどん弱弱しい数字になっていくんですよ。

1時間したぐらいかな急に心拍数とかの数字も波形も大きくあがるんですよ。

そしてフェイドアウトするみたいに数字がどんどんゼロに近づいていって。

数字もゼロに、あの波のやつもピーーっと真っ平に、と思ったら真っ平にはなったけどピーっと鳴らないの!!

あれね、テレビでよくピーっと真っ平になってご臨終ですって先生が言うやつ。

まあ結果地味に数字がゼロになって波形が真っ平になっただけだった(笑)

なんなら先生も看護師もいない!

母親と二人だけで。

あれ、死んだみたいだねって会話をしたのを覚えてます。

ゆっくり家族で最後を看取ることができてよかった、弟は仕事でいなかったけど(笑)

そのあと先生が来てくれてご臨終ですってやつをやってくれてうちの父親の人生は終わりました。

入院してからバタバタしてほんとバタバタして、最後はあっけなかったかなと(笑)

病気でもなかったし本人死んだこともわかってないんじゃないかな(笑)

最後はまだ温かかった父親の肩に手を当ててお礼を言ってきましたさ。

楽しかったって。

あんな父親でも死ぬと寂しいもんなんだな。

俺が死んだら子供たちはちゃんと笑ってくれるかな?(笑)

よろしくたのむぜ。

タイトルとURLをコピーしました